サテュロスの祭典

少女ヌード写真の愛好家です。規制法が緩和され、少女ヌード写真美術復興と新作発表を目指し、果たされた暁には、設定年齢と同年齢の子役起用しての完全ノーカット無修正の実写化目指した小説を執筆します。茶化し冷やかし大歓迎、鋭いツッコミはお手柔らかにお願いします。#少女愛 #少女ヌード #西村理香 #力武靖 #清岡純子

社会的去勢からの脱却(2)

僕の話はかなりデリケートであり、一つ間違えると、僕の意図する事とは全く違う誤解した捉えられ方をされるかねないので、我ながらくどいと思いつつ、前置きをしておきたい。
まず、僕は個人としては、児童ポルノも買春と呼ばれる行為も、基本肯定してる者である。
児童ポルノ表現も立派な映像美術表現であり、また、買春と呼ばれる行為も、性の自由解放と言う点から見れば、僕は個人の自由と考えている。
ただし、どちらも肯定すると同時に、どちらを成り立たさる為にも、僕は規制は不可欠だと考える。
どう必要であると思うのか…
僕は、世間一般に言われ思われているほど、子供が社会的弱者だとも思わなければ、保護の対象だとも思わない。むしろ、幼少の頃から、大人は極力子供を突き放し、早期自立を目指して向き合うべきだと思っている。子供は生まれた瞬間から既に個なる存在であり、自己決定能力は、大人が考えている以上に持っている。いや、まっさらな分、囚われのない心で自分の事を決める強さ、大人が考える以上に生きるためのしたたかさを兼ね備えた存在だと思う。
教育とか養育と言う言葉も、実はあまり好きではない。教育や養育と言う言葉には、どこか大人の上目線な意味合いが込められ、あるいは、大人の私物化した印象を受け、正直嫌いなのである。
大人は子供なる存在に教えを施し、養い育ててやるほど、立派ではない。また、子供は、大人に何でも教え養って頂がなくてはならない程、無力でも愚かでもない。
しいて、『きょういく』なる言葉を使うなら、教育ではなく、共育と表現するべきだろう。子供と向き合うとは、共に学び会い、共に育って行く事を意味する。
しかし、子供はまっさらな分、大人の影響を受けやすい。
大人に私物化され、強要される言われのない事を強要される危険は多分にはらんでいる。
つまり、大人の都合、大人の利益の為に、強要され無駄に傷つけられる事を防ぐと言う意味での規制は、必要かと思う。
買春と呼ばれる行為については、また、追々話すとして…
今回は、ポルノ表現について、最初に一考を述べる。
児童ポルノと呼ばれるものを、僕は三つに分類している。
1)フィクション
2)性的暴行の実況映像
3)性的スキンシップ
このうち、町田ひらくさんの漫画や、僕は彼の漫画はいつか設定年齢と同じ子役を起用しての完全ノーカット無修正で実写化したいと思うのだが、もし、そんなドラマや映画が存在すれば、1)の部類になるだろう。
これに関しては、少女ヌード写真同様、完全なる表現の自由として認めるべきだと考えている。
また、軽く百本程、児童ポルノと呼ばれる映像を見た中で一つだけ見つけたと話している、『ティーンエイジ物語』とタイトル付された映像。十歳以下と思われる剥き出しにされた下半身のみ映された少女の股間を、四人か五人の中年男性が交代で無理やり貫き、『痛い!痛い!』『もう、もう、やめてよ、痛い痛い…』と泣き噦る音声の入ったこの映像は、紛れもなく、2)の部類となる。この映像に映された行為は、規制の対象以前に、性的暴行である。仮に、被写体が大人の女性であっても、明らかに犯罪であり、厳しく取り締まるべきだと僕は思う。
そして、今から紐解こうとする、大人と子供達が、素っ裸になって楽しく絡みたい、性的な触れ合いを嗜んでいる映像。これは、3)に部類する。これに関しては、規制するどころか、社会的去勢から脱却し、少子化を克服するべく、大人と子供を交えた性の嗜みを学ぶ良い教材であり、むしろ、小中学校への推薦映像にするべきだと、僕は考えている。
例によって長い前置きはここまでとして…
性的スキンシップ映像の記憶をなぞる時…<br>
最初に注目したいのは、まずは、中高年者と幼少異性が全裸で触れ合うところから始まると言う点である。
中高年者と幼少異性と言う言い方をするのは、僕がたまたま見たのはおじさんと十歳以下の少女であったが、逆バージョンもある。
つまり、おばさんと少年もあるからである。
また、中高年者と同棲幼少者の場合もあるが…
何にしても、まずは、大人と子供が裸で向き合うところから始まると言う点が、非常に大事だと思う。
何故、大人と子供から始まるところが大事なのか…
基本、子供は十五歳を過ぎるまで、素っ裸になって異性と過ごす時間をたくさん持つべきだと考えている。
最低小学生まで、理想としては中学生まで、水泳は水着を身につけず、全裸で行うべきだと思う。保健体育も、男女共に素っ裸になり、実地を交えて行われるべきだと考えている。
更に、体育の更衣も、中学生まで男女分けず、互いの身体の違いを見ながら着替えをさせるべきであり、また、体育が終わった後、男女共に入浴させ、互いの身体を洗い合わせ、身体の違いを手に触れて学ばせるべきだとも考えている。
そして、何か機会を設けては、とにかく男女素っ裸になって過ごす時間を設け、互いの身体を触り合いながら、ごく自然に性の嗜みを学ぶ時間を設けるべきだとも思う。
しかし、裸で向き合う最初の異性は、やはり大人の異性であるべきだろう。
その理由として…
僕は、裸で向き合う時、大人と子供の間に上下関係はないと思う。あるのは、男女と言う異性の関係だけである。それは、例え親子でも同じである。
しかし、人生を二十倍以上先に生きてきた大人は、全てにおいて先輩であり、必要な知識も兼ね備えている。
男女が裸で触れ合うにしても、まずは、知識のある大人が、知識のない子供をエスコートするのが、最初であろう。
何故なら、知識のない子供同士をいきなり裸で向き合わせ、互いの身体の違う部分に触れ合わせた時、相手に怪我を負わせるリスクがある。
加減を知らない男女の子供同士を、いきなり裸で向き合わせた場合…
僕は、幼い子供ほど、意外と女の子が男の子に大怪我を負わせる可能性が強いと見ている。
身体の違い…厳密には、自分についてないモノに関心を示すのは、幼いうちはむしろ女の子の方で、やたらと乱暴に触りたがる。結果、強く、握る、引っ張る…と、言った行為を、お姉ちゃんが生まれたばかりの弟にしようとして、親を青ざめさせるなどという話は、よく聞く話である。更に、それを舐める、しゃぶると言う行為が重なった場合、知識のない幼い女の子は、思わずかじってしまい、取り返しのつかない怪我を負わせる可能性も考えられる。
なので、まずは、子供が裸で最初に向き合う異性は、大人であるべきだと僕は思う。
そして、その大人の異性は、肉親より他人が望ましい。
勿論、本当に本当の最初の相手は、実の親である必要があるのは言うまでもない。
いきなり赤の他人の大人と裸で二人きりになり、性的スキンシップなど取らせれば、楽しくもなければ気持ち良くもなく、ただ、怖いだけである。
最初の最初は、実の親と入浴したり、水遊びをしながら、性的スキンシップを取るべきだろう。
また、夢精や生理が始まり、無意識に寝具を汚す可能性が訪れる程成長するまで、子供には寝巻きも下着も着せず、裸で寝かせるのが良いだろう。
僕自身経験があるのだが…
かなり大きくなるまで、寝巻きを着るより、素っ裸で布団にくるまるのは、数十倍気持ち良い者である。
更に、両親共に素っ裸で一緒に布団に包まれば、更に気持ち良い。
そして、子供が寝静まるまで、両親二人がかりで、性的に気持ち良いところを存分に撫で回し、舐め回してやれば、天国に昇ったような気分を味わいながら、深い眠りにつく事ができるだろう。
しかし、そうやって、性的スキンシップにある程度ならしたら、徐々に大人の異性と裸で過ごし、性的スキンシップをとらせる必要がある。
理由として、近親相姦のリスクを回避する為である。
ここは、最初にはっきり述べておきたいのだが…<br>
僕は、早期から性的スキンシップを多くとらせ、子供達に性を嗜ませる最終地点は、性的結合と見ている。
それも、出来るだけ複数の異性と性的結合を結ぶ経験を持たせる事が大切だと思っている。
そして、その性的結合を結ぶ最初の相手は、男女共に大人の異性が望ましいと考えている。
しかし、その話はまた、別の機会にとっておくとして…
とにかく、子供に性的スキンシップのエスコート役を務める大人として考えた時。
舐めあい、触り合い、絶頂に達成させ合う相手としてまでなら、肉親でも十分に果たせる。
しかし、最終地点である性的結合の最初の相手役として考えると、肉親がそれを務めれば、近親相姦のリスクが生まれてくる。
勿論、ゴムをつける、外に出すと言う形に終わらせるのであるなら、肉親と性的結合をしても構わない。
しかし、最後はやはり、中に放つ、放たれる経験も必要だと僕は思う。
その相手として考えるなら、やはり、他人である大人の異性が、エスコート役を務めるべきだと僕は思う。
さて…
ここでまた、欧州渡りの性的スキンシップ映像に戻る。
僕が、最初にこの映像を見て仄々としたものを感じたのは、おじさんは女の子のソコを弄るだけではなく舐め回し、女の子は、おじさんのソレが剥き出された途端、飛びつくようにソレを手にした途端、飴でもしゃぶるように頬張り出したところである。
女の子は、それが何よりも楽しいと言うように、満面笑顔で舐め回し、おじさんも愛しげにそんな女の子を見つめながら、ソコを舐め回している。
その光景に、僕は一つも猥雑感を感じず、むしろ胸の温まるものを感じ、何度も同じ映像に見入ったのを覚えている。
今にして思えば、何故、あんなに心温まる映像を手放してしまったのか…
例え、所持してるだけで逮捕のリスクを背負ってでも、僕は大切に保管しておけばよかった。
そして、いつか、そうした映像が、虐待ではなくスキンシップとして受け入れられる日が訪れた時…
僕は、こうして記憶を辿って話すのではなく、その映像を公開しながら、話したかったと思わずにはいられない。
此処で、僕が前の記事で話した事を思い出して頂きたい。
大人と子供の異性同士で、互いのソレとソコを洗い合うのは非常に大切だと話した事がある。
どう言う意味で大切なのか…
幼い子供は、乳を呑ませて貰う事と、もう一つ、オシメを替えて貰う事で、大人に対して親近感を抱く。
その延長が、互いの局部を洗い合う行為だと僕は思う。
排泄をする最も汚い場所が、触られて最も心地よい場所と言うのは、人間を互いに親密にさせるために作られた、神様の細やかな工夫ではないかと思う。
互いに洗いあい、清潔になると言う意味だけでなく、とても気持ちよくなる事。
これくらい、互いに心を開けるものはなく、相手に対して強い親しみを感じられる事はない。
その事は、初対面のソープ嬢に、まず最初にソレを洗い流して舐められる時、いつも感じる事である。
欧州渡りの性的スキンシップ映像では、おじさんも女の子も、トイレに行ってそのまんまと思われるソレとソコを、洗いもせず舐め合っている。
そこは、やはり、入浴文化とも言える日本と、野生児そのままに進化してきた欧州人との文化の差とも言えるかも知れない。
それは、それで微笑ましいと思う。
互いに洗いもせず、尿臭漂うソレとソコを、汚いとする思わず舐め合える関係…それはそれで素敵だと思う。
しかも、別の映像では、一人の女の子が、ニコニコ笑いながら、複数のおじさんのソレを交互に舐め回している。
そうやって、幼いうちから、大人のソレを汚いと思いもせずに舐めて育った子は、大人になっても、ソレを汚いとは思わずに育つだろう。
それはそれで、非常に良い。
幼いうちから、複数の大人の異性と身体も心も開きあって遊び、親密になった子供は、大人になれば、同じ親近感を、年配者や高齢者に対しても抱けるようになる。
身も心も自然体で開き、年配者や高齢者と親密になる事で、若者達は社会人として必要な事の全てを、人生の大先輩達から学びとる事ができる。
今の日本、今の社会に欠けているのは、若者が年配者や高齢者に対して見えぬ心の壁を作る事により、歳の差を超えて打ち解けた交流ではないか。
だから、同年齢層同士だけで付き合う事が多くなり、若者は年配者や高齢者から学びうる事を学べず、年配者や高齢者は若者達を理解できず、社会は少しずつ歪みが生じてしまっているような気が、僕はする。
しかし、こうやって、幼いうちから、大人の異性と裸で付き合い、互いの局部を楽しげに舐め合える関係を結びながら育ち、その延長で、大人になっても年配者や高齢者と打ち解けて付き合えれば、歳の差の断絶と、歳の差の断絶から生じる社会の歪みはなくなる気がする。
何より…
心も身体も開きあい、許し合ってきた相手が、やがて老人となり、身動きが取れなくなった時、ごく当たり前に介護をする事ができる。喜んでする事ができるのではないか。
何故なら、老人ホームで働く者として、介護で一番きついのは、やはり、シモのサポートである。
ソレやソコを、基本、汚いものだと言う先入観で生きてきたものが、その一番汚い部分のサポートをするのになれるまで、その道を志して学び、その道一筋に生きて二十年経つ今でも、やはり、抵抗もあればキツさもある。
しかし、幼い時から、大人のソレを舐め、大人達からは、自分のソコを舐められ、互いに気持ちよくなって育ってきた者に、その抵抗感はないと思う。
同時に、身も心も開きあってきた人が、高齢となり、身動き取れなくなった時…
かつて、幼かった自分のオムツ交換を、大人達が当たり前に交換してきたように、その人のオムツも当たり前に交換する事ができるようになるのではないかと僕は思う。
ただ…
僕はやはり日本人である。
入浴と清潔の文化を持つ人種である。
欧州における性的スキンシップは、トイレに行って洗いもしないソレとソコを舐め合う関係は微笑ましいが、日本においては、まずは、互いに洗い合うところから始めたい。
互いに洗いあい、綺麗になって気持ちよくなった上で、舐める側も綺麗なソレやソコを気持ちよく舐め合いながら、本当の意味で気持ちよくなりたいものだと思う。
そして、映像は舐め合うところだけが映されているが、実地で行う時…
僕がそのおじさんであるなら、やはり、絶頂を迎えるまで、女の子に舐めさせ、扱かせたい。そして、絶頂を迎えて思い切り放つのを見せたあと、その放ったモノが、何であるのかを教えたい。
そして、何よりも、幼い子供への性のスキンシップとエスコートの第一歩…
それは、その行為が、新たな命を産み出す為のものであること。
僕であるなら、女の子の口と手によるスキンシップで、ソレが放ったモノが、僕が舐めて気持ちよくさせた、女の子のソコの中に入る事で、やがて新しい命に変化する命の不思議を教える事。
それが、幼い子に性のスキンシップとエスコートをする上で、一番重要な出発点だと、僕は考えている。