サテュロスの祭典

少女ヌード写真の愛好家です。規制法が緩和され、少女ヌード写真美術復興と新作発表を目指し、果たされた暁には、設定年齢と同年齢の子役起用しての完全ノーカット無修正の実写化目指した小説を執筆します。茶化し冷やかし大歓迎、鋭いツッコミはお手柔らかにお願いします。#少女愛 #少女ヌード #西村理香 #力武靖 #清岡純子

去勢された社会(2)

少子化を脱却する方法。
それは、ズバリ、子供に幼いうちから性的関心を高めさせ、性的なスキンシップを多くとらせる事だと思う。
特に、幼い子供達ほど、大人との性的なスキンシップを取らせると良い。
逆に言えば、今の社会、子供達を性的なものから遠ざけ、覆い隠す結果として、社会的な去勢現象が起きているのではないだろうか。
特に、大人との性的なスキンシップ嫌悪が、大人と子供の距離をつくり、子供には大人は怖い者、悪い者、醜く忌まわしいものに思わせ、大人は子供に対する無関心を呼び起こしてる気がする。
しいては、性的な興味の希薄さ、性欲への減退から、更には子供を産みたいと言う気持ちの低下を起こしているように思われる。
これ、初めてソープランドに行った時、率直に感じたのは、性行為とはスポーツに似ていると言うことである。
そして、どんなスポーツでも、幼いうちから少しずつトレーニングを積む事で、技術が高められ、やがては国体やオリンピックを目指せるようになる。
しかるに、今の社会をサッカーに例えてみよう。
かなり大きくなるまで、サッカーをさせるどころか、サッカー試合やサッカーを主題にした漫画やドラマも、教育上よくないと言って一切見せないでおく。
そして、かなり高学年になってから、初めて学校でサッカーの授業を始める。
但し、実技は一切なし。それどころか、試合映像すら見せず、図解と文章のみの教科書で、サッカーの理論やルールだけを教える。しかも、サッカーの楽しさは殆ど教えず、ひたすら、怪我のリスクばかりをクローズアップして教え込むわけである。
それで、一番いろんな技術が身体で身につく十代では理論を少々教えるだけで終わり、二十代の時は、サッカー以外のものに目を向けるように仕向け、三十過ぎ、そろそろ身体が動かなくなってきた頃、漸くワールドカップ目指しましょうと言う。
今の社会における性事情は、これとよく似ている。
生殖能力が身につくのは、早ければ十歳くらい…
事実、十歳で妊娠したと言うケースは、決して多くはないが、かなり耳にする。
そして、十二歳くらいから徐々に高まり、ピークは十五歳~十六歳。
そして、肉体的も若く、社会的にも成熟を見せるのが二十代…
つまり、最も生殖能力も盛んであれば、肉体も若く健康な時期、性的な事から遠ざけ続け、三十過ぎ、そろそろ肉体的に弱り始めた頃になって、漸く結婚しましょう、子供を作りましょう…
これが、今の社会である。
しかも、性行為のリスク、結婚のリスク、子育てのリスクばかりを散々叩き込まれて、いよいよ老いの兆しが現れ始めてきた頃になって、早い話が、これまで猥褻だと叩き込まれてきた事をさせ、リスクだと叩き込まれて子作りをしましょう…
そう言われて、誰が、そうしましょうと言うだろうか。
僕は今、五十に近くて独身である。
散々、性行為を扱ったものを猥褻だ、犯罪だ、出演者が可哀想だと言いながら、この歳で男女関係がないと、負け組とか、わけわからん事を言われるが…
率直に言う。
僕、リアルに結婚して子育てして苦労してる同年代の周囲の人達を見て、どう思うか…
結婚しなくて良かった、家庭なんぞ待たなくてよかった、子供なんていなくてよかった…
これである。
介護職で勤める者として、老後の事を考えた時…
リアルに子供や孫達に、入りたくもない老人ホームに放り込まれ、せっかく残された十年、二十年もの歳月を、快適な牢獄ともいえるホームに飼い殺されてる入居者をみて、絶対、子供も孫も欲しくないと感じている。
今から、結婚?子作り?冗談ではないと思う。
まあ、僕の場合、あなたは小児性愛者だから…
そう言われてしまえば、身も蓋もないが、やはり自分と同じ年代の独身の方々で、結婚願望を抱いている人は、皆無に等しい気が僕はする。
当たり前の話しではないだろうか?
この状況を脱するにはどうすれば良いか…
実に簡単な話であると思う。
幼いうちから、性をタブー視せず、むしろオープンにすれば良いのである。
もっと言えば、子供に大人の価値観や固定概念を押し付けず、生のままに育てれば良い。
生のままに育てると言う事について、一つ一つ取り上げるゆとりはないので、ここでは性に限定して話そうと思う。
まず、幼い子供達を裸にするなんて可哀想、性的な行為をさせるなんて可哀想…
それは、人に裸を見られ事は恥ずかしい事、性的な事をさせたり、されたりするのはとても、汚らわしい事…
貞操、純潔、羞恥、道徳、倫理…
全ては、大人社会が、後付けで作り上げた人工的価値観によるものである。
幼い子供達ほど、裸でいるのが好きであり、性的な好奇心は大勢であり、性的な言動をとるのが大好きである。
子供達を言葉で笑わせるには、何を言えば良いか。漫才師のひねったギャグなど全く必要ない。
ただ、性的な単語を羅列すれば、一発で爆笑させられる。
小さな女の子ほど、素っ裸になって、挑発的な態度をとっておじさんドキマギさせるのが大好きである。
小さな女の子ほど、自分のとった過激な仕草で、おじさん達から卑猥な歓声を浴びせられれば得意顔になる。
男女を問わず、小さな子供達ほど、互いの身体の違いに興味を持ち、見せっこしたり、触りっこするのが大好きである。
昔流行った、幼い少女をヌードにして、過激なポーズをさせたり、挑発的な格好をさせると、保守的な大人達は、子供らしいくないと眉を潜めたが…
僕からすれば、素っ裸でそう言う格好を喜んでする姿こそ、実に子供らしいと思う。
古い児童文学アニメに登場するような、純真無垢、可憐な乙女などと言うのは、子供はそうあるべき、そうあって欲しいと言う、大人達の幻想であり願望である。
ある主、そう言う幻想や願望は、何も道徳の塊のような生真面目な大人だけでなく、子供を性的対象と見なす、所謂、ロリコンと呼ばれる方々にも言えるかと思う。
そう言う、純真無垢で可憐な乙女を凌辱する妄想に恍惚感を抱くような方々が、町田ひらくさんの描くようなる漫画世界を好むのだろう。
しかし、残念ながら、生まれながらにそう言うお育ちの子供でない限り、そんな、町田ひらくさんのファンが喜ぶような子供はいない。
むしろ、幼い子供達ほど、大人が思っている以上に、中身は卑猥である。
しかし、僕は、それこそが本来の子供達の子供達らしい姿ではないかと思う。
本来、ここに大人達が勝手に築き上げた、貞操心、道徳心、羞恥心などを持ち込み…
あろう事か、女の子が肌をあらわにすれば、女の子がそんな格好するものではない、女の子らしく振る舞えと叱りつけたりする。
愚かな話しである。
女の子はこうあるべき、男の子はそうあるべき…
全て、大人達が勝手に作り上げた幻想と願望である。
大人の勝手な幻想と願望、押しつけられた子供達こそ迷惑である。
性的好奇心が大勢なら、性的好奇心が大勢なままに育てれば良い。
どう育てるか…
性的好奇心を満たしてやれば良いのである。
こう言うと、一昔前に流行った性解放主義と言うのか、性教育推進論者と言うのか…
速攻、アダルトビデオやポルノ本を子供達にガンガン見せろみたいな事を考えてしまう方が現れそうなのだが…
別に、アダルトビデオやポルノ本を子供達に見せてはいけないとかは思わない。
よく、青少年の有害図書なる言葉を耳にするが、僕は、この世に青少年に有害な図書も有益な図書もないと思っている。
有害とか、有益と言うのは、子供はこうあるべきと言う幻想を抱いた大人達の貼ったレッテルに過ぎない。
ただ、性的好奇心を抱く子供達に、アダルトビデオやポルノ本を見せると言うのは、歴史に興味を抱いた子供達に、時代劇を見せて、これが歴史の真相だと言うようなものである。
僕の言う性的好奇心を満たしてやれと言うのは、本当の事をそのままストレートに教えてやる事である。
例えば、赤ちゃんはどう言う風にできるのか?と、聞かれたら…
娘に聞かれたら父親が、息子に聞かれたら母親が、一緒に風呂に入り、身体の部位の説明をしながら、具体的に説明してやれば良い。
或いは、両親の夜の営みは隠さず、子供に見せれば良いと思う。そして、何をしてるのかを聞かれたら、説明してやれば良い。
アダルトビデオは性の教科書にはならないが、両親の営みは立派な教科書になる。
どう言う意味で教科書になるのか…
アダルトビデオだと、やたらと男女の立派な身体、派手な行為がクローズアップされるが、両親の…つまり、本物の行為など、実に地味なものであり、身体も、殆どの男女はそんなに立派なものではない。
殊に、床の中では、案外、男の方が情けなかったりもする。なかなか奮い立たなかったり、すぐに萎びてしまったり、女性とタイミングがまるで合わなかったり…
思っているほど、簡単にできるものでもなければ、必ずしも、そんなに良いものでもない現実をしる。
性の知識を得る最初の基本は、幻想ではなく現実を知ること、正しい知識を得ること、決して楽なものではない事を知る事かと思う。
そして、とにもかくにも、早期のうちに、男女の身体の違いを早くから、自然体に知る事だと思う。
まず、異性の親との入浴は勿論だが、兄弟姉妹と入浴させる事。互いに身体を洗い合わせる事。
特に、男女の違う部分を洗い合わせる事はとても大事だと思う。
これは、衣服の洗濯や部屋の掃除、大事にしているものの洗浄にも言える事だが、洗うと言うのは、それを大事にする事の基本となる。
男女の違う部分は、とても大切なところである事を教えるには、綺麗に洗う事が一番かと思う。それは、その部分を大切にする事のみならず、男女を互いに大切にする事につながるかと思う。
同時に、違う部分に、直接触れる言葉で、得る知識も多い。
直接見て触れる事で、その部位の正確な形のは勿論であるが、異性の手で触れられた時の感触を知る事が重要である。まず、異性に触れられた時の心地よさを知る事が重要である。互いに一番敏感なところを触れ合い、気持ちよくなる事は、最も相手に親近感や親愛感を抱かせる。
特に、身体が性に目覚めた時ほど、異性の親、兄弟姉妹との入浴は大事だと思う。
どう大事なのか…
女性にも生理減少があると聞くが、男の僕にはその辺の事は実感として湧かないので、あくまでも男の身体のみで説明する。
男は、無精の時期が近づくと、やたらとその部分がムズムズとして、落ち着かなくなる。最初は、尿意と勘違いし、トイレに行くが、全く治らない。
空気に晒す事で少し楽になるので、やたらと下半身を剥き出しにしたくなる。そして、これは僕の場合であるが、何故か、剥き出しにした部位を人に見せたくなる。触ると気持ち良い…と、言うより、少し疼きが和ぐのでやたらと触りたくなるが、できれば人に触って欲しい。
そして、異性身体をやたらと見たくなる。しかし、写真や絵画で異性の身体を見ると、その疼きは更に強くなり、無間地獄に陥る事になる。
僕は、この時こそ、異性の肉親との入浴が重要になるかと思う。
どう重要なのか…
この疼きを、肉親の異性が鎮めてやるのである。
最初は、母親が良いだろう。
夢精を待つまでもなく、母親の手で最初の絶頂を迎えさせてやれば良い。その際、できれば、異性の姉妹も立ち合わせるのが良いと思う。
そして、無事に絶頂を迎える事ができたら、ソコから放たれたモノが何であるのかを、この時こそ説明してやれば良いであろうかと思う。同時に、女性が初潮を迎えたとき、女の身体が出来上がった証として赤飯を炊くが、男性が最初にソレを放つ事ができた時も、ソレは男としての身体が出来上がった証として、家族で盛大に祝えば良いと思う。
そして、次にその子が疼いた時は、異性の姉妹に鎮めさせると良いだろう。
僕は、女性の身体の疼きを知らないので、男性だけを例に挙げて話したが、女の子の身体が疼き出した時は、最初は父親が、次に異性の兄弟に鎮めさせると良いと思う。
男女の違う部分について、正しく知識を得る事について話したが、同時に慣れる事も大事だと思う。
間違いを防ぐと言う意味から、裸ん坊が大好きに幼児に、羞恥心を教え、身体を隠す事を教えるようになるが、そもそもここが間違っていると思う。
本来、羞恥心など全く必要ない。
なまじ、羞恥心など抱かせ隠すから、それが何だろう、見たいと言う欲求を抱かせる事になる。そして、その見たいと言う欲求が、身体の疼きに重なった時、暴力的な欲情と言う形に現れてくる。
僕は、基本、性の営みは食の営みと同じだと思う。
食の営みが満ち足りていれば、大概の人は穏やでいられる。しかし、逆に、どんな穏やかな人であろうと、空腹になれば気が荒くなり、空腹のレベルが飢えにまで至ると、本来とても優しかった筈の人まで、暴力的に…あるいは、殺人まで犯すようになる。
性犯罪が起きるのも、これと同じだと思う。
見たいものが見られないのと、性的な疼きが癒されないまま、ひたすら我慢を強いられる。
食に例えてみよう。
空腹な人の前に、高級レストランの前をひたすら歩かせ、中で作られている料理を決して見てはいけないと言う。しかし、何とも言えない匂いだけが、やたらと中からしてくる。どんな料理が作られているのか、気になって仕方ない。
そうこうしているうちに、空腹はやがて飢えに変わる。
飢えれば飢える程、レストランの中から漂う匂いが、強烈に鼻をついてくる。
それでも、食べるどころか、料理を見ることすら我慢させられている。
やがて、飢えが飢餓に達した時、それでもレストランの前をひたすら歩かされてる者はどうなるだろう。
今の思春期の子供達は、この状況に似ていると思う。
いや、この状況を更に越してしまっているのではないか。
もう少し、レストランの前を歩かされる飢えた人の例を話してゆこう。
彼の食への欲求は、まず、とにかく中の料理を見たいと思う。その欲求が頂点に達した時、レストランの窓やガラスを打ち破ってでも、料理が見たい。そして、ようやく扉や窓を打ち破って、中でうまそうに食してる客の姿を見るなり、その人から引ったくってでも、それを食べたいと思う。
そして、実際にそうしてしまった人が、言わば凶悪な性犯罪を犯した青少年と言う事になると、僕は思う。
ここ半世紀近くの間、やたらと凶悪性犯罪…もしくは、性的倒錯から起きたと思われる残忍な犯罪の横行…
全ては、見る事、する事をひたすら我慢させられる、性的飢餓の末期症状が引き起こしたものだとすれば、至極当然な気がしてくる。
こう話すと、ある人々は、こう思われるかも知れない。
いや、三十年前まで、むしろポルノ雑誌やアダルトビデオが氾濫し、子供達は自由に見れていたぞ。コンビニで、子供達がポルノ雑誌を堂々と立ち読みしていたぞ…と。
学校の性教育では、むしろ、そう言うものを見ても良いとさえ、子供達に言っていた…と、思われるかも知れない。
ここで僕は、こう言いたい。性欲を満たしてやるのと、アダルト雑誌やポルノ本を好きなだけ見せるのとはまるで違うと。
再び、レストランの前を歩かされてる飢えた人の話に引き戻す。
その人は、腹を空かせているのである。飢えているのである。その人が望んでいる事は、とにかく飢えを満たす事。早い話が、何か食いたいのである。
本当のところ、レストランの中で、具体的にどんな料理が出されてるのか、どんな風に皆が食事してるかなど、どうでも良いとも言えるかも知れない。
しかし、ここで、レストランの前を歩かされてる人を見て、大きな勘違いをする。それは、彼らが、レストランの料理を見る事が出来ず可哀想だ。どんな風に食事してるか可哀想だと。
そこで、実際のレストランの中とは全く違う食事の光景を映したものを見せる。
どんな光景か…
凶暴な連中が、弱い鳥や動物を嬲り殺しにし、その殺した動物をその場で丸焼きにして、豪快にかっ食う光景である。
そもそも、まだ食事の仕方すら知らないレストランの前を歩かされる飢餓の頂点に達した者からすれば、これが食事だと言われ時、どんな思いを抱いてそれを見るだろう。
また、性を満たすと言う事と、野放しにするのも違うと付け加えたい。
三十年前までの状況とは、でたらめな食事風景を、これが食事だと言われ、凶暴化してしまった人達を、野放しにしてしまった状況と言えるのではないか。
しかし、ここでも勘違いが起きた。
レストランの前を歩かされていた人達が凶暴化してしまった本当の理由についてである。
彼らが凶暴化した理由は、とにかく飢えていた、腹を空かせていた、何か食べたいの一言に尽きる。
しかし、その肝心の空腹、飢えを満たす事をすっぽかして、直接的原因である、でたらめな食事光景の映像を徹底的に取り上げる事に緻密をあげてしまった。
更に愚かな事に、でたらめな食事光景の映像を捉えるだけでなく、普通の料理の見本も取り上げてしまい、ますます、レストランの中を見せないようにした。見せないようにするだけではなく、それを見る事がどんなに罪悪な事でるかを、徹底教育し始めた。更には、あろう事か、レストランの中で食事する事は、とても危険な事だと脅すようにもなった。やれ、食中毒を起こすとか、メタボになって身体を害するとか、深刻な病気を引き起こす要因になるとか…
さて…
罪悪感と恐怖心に縛られて、更に空腹、飢餓を我慢させられた人はどうなるか…
やがて、今度は食べても良い、いや、深刻な栄養失調に陥っている事に漸く気づいた人が、ちゃんと食べろ、食べなくてはいけないと言われても、彼らの身体が、もう、食事を受け付けなくなる。
これが、性的飢餓状態に陥ってしまった青少年達の置かれた今の現状。
そして、深刻な性的栄養失調に陥ってしまった事に気付いた者達に、結婚しろ、子供作れと言われても、もう無理だと言うのが、言わば草食化したと言われる男性達や、結婚も出産も望まない女性達の今の姿だと僕は思う。
話がかなり逸れてしまったので、元に戻す。
食の営みも幼いうちほど満たす必要があるように、性の営みも幼いうちから満たす必要があるかと思う。
それには、マナーは必要であるが、羞恥心は不必要であると思う。
また、文字数制限が迫ってしまったので、細かい話は後にゆずるが…
ここでは、結論から話しておきたいと思う。
幼いうちは、羞恥心を植え付けるより、むしろ、異性と裸で接する機会を多く持たせる事が大事であると思う。
最低限、幼稚園の水泳には、水着は着せない方が良い。
素っ裸で泳がせた方が、おそらく本人達も気持ち良いだろうし、自然体で、男女の身体の違いを覚えるかと思う。
また、水泳以外でも、素っ裸で遊ぶ時間をたくさん設けるのが良い。理想を言えば、園内にいる間は、皆、素っ裸で過ごすくらいで良いかと思う。
更に言えば、小学生も水泳は水着未着用で行わせると良い。体育の授業も、素っ裸で行うか、少なくとも、着替えは男女一緒に行う。
また、健康診断も、男女一緒に、素っ裸で行い、当時に、健康だけでなく、発育検査も一緒に行うと良いだろう。
また、性教育の授業も小学生のうちから行い、この時も、全員素っ裸になり、実地をかねた授業を行うと良いだろう。
具体的には、単に知識学問としてだけ、男女の身体機能の違いを学ばせるだけでなく、互いに触れ合い、また、触れ合う事による性的な反応を、確認し合うようにすると良いかと思う。
そして…
小学生までと言ったが、僕は、中学生…つまり、完全に大人の身体が出来上がるまで、水泳は水着未着用、体育もできれば全裸が良いが、少なくとも着替えは男女一緒、性教育の授業も全裸で男女共に受けさせ、互いの身体の違いを、実地で学び合うのが良いだろう。
先を急ぐので、細かい話は別の機会にするが…
究極の結論を話せば…
性的結合に至るまで、実地で行わせれば良いと思う。
そうして、性的な知識を自然体で身につけさせて行きながら、性的空腹を満たさせ、また、満たす方法を教える事が、今の社会的去勢状態から脱却し、少子化を改善する事につながるかと思う。
今回は、この辺で終わりにしたいと思うが…
ここで、お読み頂いた方のなかから、当然出てくるであろう疑問について話しておきたいと思う。
それは、逆に、未婚青少年達が妊娠してしまう危険についてである。
僕の場合…
未婚者や未成年者の妊娠は歓迎する事であり、したならば、普通に出産させれば良い。
むしろ、同級生に妊娠者が現れ、その子を暖かく迎えて、みんなでいたわり、生まれ出てきた子の誕生を皆で祝福する事もまた、自然体に性の知識を得る事になり、また、妊娠出産の体験自体が、その子の大きな学びにもなると思っている。
しかし、その詳しい話は先に残すとして…
性的空腹を満たす事と、妊娠はまた別の話だと言う事だけ、話しておきたい。
そもそも、性的空腹とは何か。その時求める事は何か。子供を作ることではない。また、子供を作る事に直結する結合でもない。
むしろ、結合によって満たすのは、ソープランドで失敗経験の豊富な方々ならお分かりかと思うが、非常に難しいのである。
僕としては、結合の仕方を身につけるより、結合が非常に難しい事である事を知るために、授業では、結合の実地授業も行うべきただと考えている。
性的空腹を満たすとは、結合する事ではなく、早い話が、男であるなら、放つものを放って、疼きを鎮めたい。もっと、ぶっちゃけて言えば、気持ちよくなり、スッキリする事である。
では、今回はこの辺にして…
今後、性的空腹を満たす事について、また、満たす事と野放しは違うと言う事について、順を追って話して行きたい。
しかし、その前に…
次回は、児童ポルノは性の教科書になると言う話に戻り、今度は、児童ポルノの元祖とも言える洋物児童ポルノについて、話をさせて頂こうかと思う。